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韻について考える

 
作詞する身として
こんな記事を書くのもありかなと思ったので。
何の気なしに綴ってみます。
下からどうぞ。
 
 
詞を書く際に気をつけるべき要素はたくさんあると思うんですが
今回韻について考えようかと。

曲というものにはリズムがあって
歌詞はその曲のリズムにあったものを書くべきだと
個人的に考えています。

いちばん手っとり早い手段は母音を揃えること。
だけど日本語はモーラ言語なので
一音だけ揃えてもあんまりパッとしないこともしばしば。
なので二音以上(つまり二文字以上)の母音を揃えてやっと
「韻を踏んでいる」と認識されることが多いです。

ただ「韻を踏む」というプロセスだけに泥拘っては不可ないとも。
韻を踏むことに集中しすぎていると
よく「韻に踏まれている」と言われて批判されます。

tysさんというボーカロイド界隈でも活躍されている方が
ニコニコ動画に公開されている「Loose Change」という曲の投稿文で

“韻を踏むことは、目的でなく表現手段”

と仰っていますが,まさにその通りだと感じます。
押韻に躍起になって取り組んで
曲の雰囲気を損ねたりしては本末転倒。

韻を踏もうとすることによって
試行錯誤してより作品の完成度を高められたり
新しい表現に気づけたり
それが自分の考え方になっていったり
そういうことが重要なんじゃないかと思うのです。

(特に「自分の考え方になっていく」というアイディアを
もっと突きつめていきたいところ。
たとえば英語の格言なんかに韻を踏んでるのをよく見かけるけれど
それが人の考え方を形づくり得るのなら
思考が言語を生むだけでなく,言語が思考を生むこともあるという
ことじゃないかというのが最近の疑問。
聖書の「初めに言があった」みたいなね)

効果的に韻を使えるか
韻に下剋上されるか
ってのは,だけど結局作詞する人のセンスと裁量なんでしょうね。

なんて!
作詞勉強中の身で
こんだけ偉そうに語るというのもどうかと思うけど!
韻について僕がどういう風に捉えているか
ひとつの考えとして。
 

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